礼拝メッセージ「忍びて待ち望め」詩篇37篇(2016年01月03日)

※初代牧師、山守博昭師によるメッセージです。

序 :この詩篇はヘブル語のアルファベット詩、いのは歌になっている。何か箴言を読んでいるみたいな感覚になる。「悪者」と「正しい者」が出てくるが、それは、単純な道徳的な善悪ではなく神に対する態度だ。神様に信頼する者と反抗する者という構図だ。少し節数が多いので一つ一つを見ることは出来ない。テルトゥリアヌスという神学者が、この詩篇を「摂理の鏡」と言い、ここに聖徒たちの堅忍があると言っている。聖徒の堅忍の教えとは、社会の中に起こる「何故、悪が栄え、善人がしいたげられるのだろうか」という問いの中で、神を信じる者たちが忍耐を堅く守って、神の正しい審判を待ち望むというものだ。神の時の問題でもある。25節にあるように今は年をとった作者のダビデは、サウルからの不当な苦しみ、息子アブシャロムの反乱などの困難の多い、自分の人生を振り返って、それでも神に信頼して歩むように私たちを若者を励ましている。そんな詩篇だ。

本論1 悪者の栄え
(1)悪者のたち
37:1 悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。
「悪を行なう者」「不正を行なう者たち」がいます。「(7)悪意を遂げようとする人」だ。「(12) 悪者は正しい者に敵対して事を図り、歯ぎしりして彼に向かう。」とある。「歯ぎしり」は「(新共)牙をむく」と訳されている。「正しい者に敵対する」。
ヨハ3:20には「悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。」悪者には悪者の世界がありますが、その世界の目で見ると、真面目ぶっている者達が気に入らなく思えるようです。又、自分の欲望を満たす事だけに生きていても、どうしても手に入らないもの、真の友情や、愛や謙遜や、心のゆとりです。そして、彼らはそれらを持っている者を妬むのです。それが罪人達の世界の現実を良く表わしている。37:32には彼ら暴力性が描かれている 「悪者は正しい者を待ち伏せ、彼を殺そうとする。」37:14には「悪者どもは剣を抜き、弓を張った。悩む者、貧しい者を打ち倒し、行ないの正しい者を切り殺すために。」彼らは暴力で、悩む者、貧しい者さえも狙う。私たちは全く罪のないお方が、十字架に殺されたという事実を知っている。また神の預言者たちがいつも迫害されてきた歴史を知っている。
 そういう彼らが栄えているように見える。37:35 にあるように「おい茂る野生の木のように… (35)」「(岩)原生樹のように」その横暴ははびこっていた(35)」

(2)つかの間の栄
しかし、人生の先輩百戦錬磨のダビデは言う。
37:1「悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。」「(7) 腹を立てるな」
37:8「怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。」
ダビデはおそらく腹を立ててかえって混乱した若いころの経験があったのだろう。「(小畑)立腹、それは主の摂理への不信仰で悪に通じている。」義憤のつもりが、いつしか彼らのペースに巻き込まれてしまう。だからパウロは言う。
エペ 4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。」
何故なら彼らの栄はつかの間のことなのだから。「(37:2) 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。」
37:20 しかし悪者は滅びる。【主】の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消えうせる。煙となって消えうせる。
イエス様がルカ12:28「…きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、」と言ったのは、パレスチナの丘に咲く深紅のアネモネで夏の夕立の後の斜面深紅に染まるほど咲き乱れ、一日咲いただけで枯れてしまうらしい。
栄えているようで、実はあっという間の出来事でしかない、
37:10「ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。」
37:36「だが、彼は過ぎ去った。見よ。彼はもういない。私は彼を捜し求めたが見つからなかった。」(全焼事件)

(3)主に逆らうこと
そして、主に信頼する者に敵対する者は実は主ご自身に逆らっている。
37:20 しかし悪者は滅びる。【主】の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消えうせる。煙となって消えうせる。
ここで、ダビデを殺そうと狙った人たちが「主の敵」と表現されている。神に従う者に敵対する者は主ご自身に敵対する者なのだ。
それ故自ら滅びを刈り取ることになる。主の民の敵は主の敵 サウロ(後のパウロ)がダマスコのクリスチャンたちを捕えようしての旅の途上、太陽よりも明るく輝く復活の主に会い、ヘブル語で『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』サウロが『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。』とおっしゃったのだ。神の民への敵対することは神への敵対であり、自縄自縛(ジジョウジバク)裡道をたどるのだ。(使26:12~15)
エステル記に登場する悪大臣ハマンはユダヤ人を虐殺しようとし、また自分に拝礼をしないモルデカイを柱に磔にしようとしたが、神はその計画をエステルを通して暴き、その用意した柱に自分が欠けられることになってしまった。
37:15 彼らの剣はおのれの心臓を貫き、彼らの弓は折られよう。

本論2 悪人に対する神様の態度。
(1)人の歩は主によって
37:13「主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのをご覧になるから。」「(岩)お見通しなのだ」私たちは、何故悪人がはびこるのかとイライラするのだが、主は「彼を笑われる」のだ。それは、神だけは、その栄がつかの間であること、そして、最期がどのようであるかを知っておられるからだ。「(小畑)背後に時の記を持つ死刑執行人がいる」
37:23 人の歩みは【主】によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。
「(新共)一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。」
実は「人の歩みは【主】によって確かにされる」スガシカオのプログレスという曲は人間が自分で描いた通りには歩めないことを表現している。「ずっと探していた理想の自分って、もうちょっとカッコ良かったけれど、僕が歩いてきた日々と道のりを本当は「自分」って言うらしい。世界中にあふれている溜め息と、君と僕のあまづっぱい挫折に捧ぐ。あと一歩だけ前に進もう。」「ねえ、僕らが夢見たのって、誰かと同じ色の未来じゃない。誰も知らない世界へ向かっていく勇気を未来って言うらしい」
イザ 55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
私たちは「人の歩みは【主】によって確かにされる」と言うことを覚えたい。

(2)神の配慮
長い時を経るとわかってくることがある。年取ったダビデに見えてきたことがある。確かに神は全てをご支配しておられると。例えば、栄えているように見える悪人、困難の中にばかりいるように見える信仰者。しかし、時を経ると神様の守りやご配慮が見えてくるものだ。例えば
37:19 彼らはわざわいのときにも恥を見ず、ききんのときにも満ち足りよう。
平時はそれが分からなくても、いざという時にそれが表されます。
災いの時、飢饉の時にそれが「(小畑)怪獣のように世俗をむさぼる者はどれほど食らっても満足せず、ちょっとした災いに大騒ぎして恥をさらすが、主にあって生きる者は多少の糧で満ち足り災いにもうろたえない。」
イエス様はこうおっしゃった。
「(マタ7:24~27)…わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」見た目がどんなにしっかりしていても、試練が来た時が問題だ。嵐で真価が問われる。主に従う者も、嵐に会わないわけではない。イエス様はこう言われた。
ヨハ16:33「…あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」私たちは倒れることさえある。しかし、
37:24 その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。【主】がその手をささえておられるからだ。
「(小畑)お風呂に入れられた赤子は初め熱すぎると感じて、驚き泣きますが、やがて気持ちよさそうにつかります。ちゃんと母親が赤子に好適な温度に調整していたからです。今日浸っている苦痛も、明日つけられる苦難も、全て慈愛の主がみそなわしておられると知れば私たちの心も落ち着きます。」
Ⅰコリ10:13「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」

(3)満ち足りる心
37:21 悪者は、借りるが返さない。正しい者は、情け深くて人に施す。
神を信じない者は自分を肥やすことだけを考えるので、返さない。あるいは、返せなくなる。あるいは返すことが出来ない内に消えてしまうとも解釈される。
しかし、経験豊かなダビデはこう言う。
37:25 私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。
マザーテレサがインドの貧民街に行って食べ物を与えようとした時に、その子がそれを貰って他の人たちに分け与えに行ったことにショックを受けた。悪人の貪欲、義人の喜捨と言われる。
37:16 ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる。
パウロはマケドニアの教会が(Ⅱコリ8:2)「苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。」と書いている。現実を見るとあたかも悪者が栄え、正しい者が貧しく見える。しかし、時を経れば確かに神の正しい裁きやご判断が見えて来る。この神に信頼すること。私たち信者であっても、この神への信頼を失って自分の欲に生きる可能性もある。だから私は大丈夫という世界ではない。それ故箴言の作者のように言いたい。
箴30:8 不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。
30:9 私が食べ飽きて、あなたを否み、「【主】とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。
私たちに満ち足りる心を与えてください。

本論3 それでは私たちはどう生きるか
(1)地に住み、誠実を養え
だから、私たちは惑わされずに、忍耐をもって主を待ち望みたい。
37:3 【主】に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。
「(文)この国にとどまり、真実(まこと)もて糧とせよ」「(内村)国を去るに及ばず秩序の回復を待ち望み真実に生きよ」
AKB48の「僕たちは戦わない」という曲の歌詞「僕たちは戦わない。愛を信じてる。振り上げたその拳 誰も下ろす日が来るよ。憎しみは連鎖する。だから今断ち切るんだ。この世界で流れ落ちる涙の総量決まってるなら、皆で分かち合おうか。僕たちは戦わない。明日を信じてる。絶望の雲の下、切れ間に青空 探せ  君が思うより 人はやさしい 何もあきらめるな ほほえみは太陽だ 冷えた仲 暖めるよ  もし誰かが胸の奥に怒りのわけを溜めているなら 全てを聞いてあげよう…」
「(岡山)地上を旅人また寄留者として歩む神の民にはさまざまな悲しみ、涙、叫びがある。神はその涙のひとしずくをも覚え、涙の皮袋に貯えられる。そして、その涙を拭われる。」
37:4 【主】をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
「(新共)主に自らを委ねよ」「(口)主によって喜びをなせ」「()」「()」
Ⅰヨハ2:15「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。 」主をおのれの喜びとする。「(マイヤー)大いなる神との聖にして密なる交わりの習慣を開拓し、神と真正面に向き合わねばなりません」
37:5 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
「ゆだねよ」は「石などを転がす」という意味から出ている言葉だそうだ。十字架の上で死に墓に収められた主の体に香料を塗ろうと、朝早く墓に出かけた女たちは、墓石をどのようにしたらよいか心配だったが、墓石は御使いによって転がされていた。神が心配を取り除いてくれた。「(小畑)道とは重荷や心配を含めた身の成り行きで、その一切を主に負っていただこう」と言う。十字架にかかられたイエス様に、私たちは全ての罪を負っていただいたのだ。私たちは将来に対する心配や思い煩いをも主に委ね、信頼して行きたい。そうすれば「主が成し遂げてくださる」。
ヘブル10:35「…あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
37:39 正しい者の救いは、【主】から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。

(2)キリストの苦しみにあずかる
37:6 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
ダビデの生涯に確かに表された。聖徒の義は埋もれたままにはならず。やがて輝く時が来た。
37:7 【主】の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
「何故このような不平等が起るのか」とか「何故、正しい審判がなされないのか」それを最も主張出来るお方はキリストでした。しかし、キリストが私たちの罪をその身に負って、私たちの身代りに十字架に死んで下さるということは、その不条理の中で神に信頼し続けることでした。キリストは屠られる子羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように口を開きませんでした。しかし、神はその義を光のように輝かせられました。死からよみがえらせたのだ。
ピリ2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
2:11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
「聖徒の堅忍」それはこのキリストに倣う者となるためだ。
 ペテロはその第1の手紙でこう記しています。
2:19 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
2:20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
37:27 悪を離れて善を行い、いつまでも住みつくようにせよ。

(3)地を受け継ぐ者
最後に地を受け継ぐものと言うことを見たい。
37:9 悪を行う者は断ち切られる。しかし【主】を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
「(口)国を継ぐ」とも訳されている。
37:11「しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。」「貧しい人」は「(文)へりくだる者」「(口)柔和な者」と訳されている。
イエス様はマタ5:5で「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」と言われた。この詩篇はこのイエス様のお言葉の詳しい説明の詩なのです。
37:18 【主】は全き人の日々を知っておられ、彼らのゆずりは永遠に残る。
「全き人」は「(新共)無垢な人の生涯を」
37:29 正しい者は地を受け継ごう。そして、そこにいつまでも住みつこう。
37:37 全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。
37:40 【主】は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。
こうして私たちは主の逆転があることを覚えていたい。
 詩篇の作者ダビデは、無実の苦しみの中で命を狙われますが、その審きを父なる神に委ねました。命を狙われ、逃亡生活を余儀なくされるなかで、エンゲディの荒野の洞窟に隠おいて、またハキラの丘においても、敵を殺せる立場に置かれますが、彼は部下を説き伏せて、襲う事を許さず、審きを父なる神に委ねたのです。
私たちの武器は神の武具だ。真理の帯、正義の胸当て、足には平和の福音の備えをはき、信仰の大盾を取り、救いのかぶとをかぶり、御霊の与える剣である、神のことばを受け取り、御霊によって祈るのだ。

結び 37:34 【主】を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。

※注  参考資料: 「詩篇講録」小畑進 いのちのことば社 「詩篇を味わう」鍋谷堯爾 いのちのことば社 「ダビデの宝庫」CHスポルジョン いのちのことば社  詩篇の霊的思想BFバックストン 関西聖書神学校出版部  聖書注解全集 第5巻 内村鑑三 教文館  「詩篇」旧約聖書講解シリーズ富井悠夫 いのちのことば社  「新聖書注解」小林和夫いのちのことば社  「実用聖書注解」富井悠夫 いのちのことば社  「旧約の霊想」WGムーアヘッド いのちのことば社 「聖書注解」キリスト者学生会  「旧約聖書の思想と概説」西満 いのちのことば社  「笹尾鉄三郎全集第2巻」福音宣教会 旧約聖書入門 三浦綾子 その他 諸訳聖書  LB(リビング・バイブル)