教会案内

柿生キリスト教会について

名称:柿生キリスト教会(かきおきりすときょうかい)
所属:日本福音キリスト教会連合【JECA】(にほんふくいんきりすときょうかいれんごう)
所在地:〒195-0053東京都町田市能ヶ谷5丁目40番30号
TEL&FAX:042-735-7657
牧師:國分 力→牧師紹介はこちら
特徴:柿生キリスト教会は、小田急線「柿生駅」から徒歩10分の丘の上に位置する小さな教会です。一人ひとりの気持ちを尊重しながら、心の触れ合いを大切にするアットホームな雰囲気が特徴です。年齢・性別・職業問わず本当にさまざまな人たちが集います。
また、礼拝の前半に、子ども向けの聖書のお話や賛美の時間があるのも大きな特徴で、子どもだけでなく大人にとっても、わかりやすいと評判です。詳しい礼拝・集会案内はこちらをご確認ください。

沿革

1980年

東京世田谷にある宣教教会(当時単立キリスト教会連盟所属・品田与志夫牧師)において小田急沿線に新しい教会を始めるための具体的な話し合いと祈りがなされ、委員会が設置された。
その中で、 柿生での働きを進める案が出され、牧師、役員会のビジョンも一致し、83年の臨時総会において柿生での教会設置案が承認され、同年東京キリスト教短期大学(TCC:TOKYO CHRISTIAN CALLEGE)を卒業した山守博昭師が遣わされる事になった。

1983年4月

有志の方々による柿生近辺の下見を経て、小田急線柿生駅前(川崎市麻生区上麻生1064の2プラザピア3F)の進学塾の2部屋をお借りし1983年4月17日に開設式を行った。

1987年1月

近くの集会所(麻生区片平2の2の1ハイツ日向101号)のエーコー教室に移転。

1987月11月

さらに柿生幼稚園(麻生区片平4の6の12)の1室に移転。

1989年4月

当初5名で始めた働きが12名になり、宣教教会の総会において、宗教法人格を共にしながら、働きを自立したものとすることが承認された。なお柿生で奉仕していた切山さんはスリランカへの宣教師となられた。

1990年

幼稚園から、再びエーコー教室に集会を移転。1月より同じ信仰を共有する「単立キリスト教会連盟」に加盟した。

1992年1月

宣教教会の大きな援助があり、現在の町田市能ヶ谷町に土地を購入。同年4月29日に発足した日本福音キリスト教会連合に加盟。同年9月27日に新会堂を献堂した。

1996年3月

柿生キリスト教会で最初に洗礼を受け、献身した滝野晃人さんは神学校(聖書神学舎)を卒業し、川鶴チャペルの牧師に就任。

2012年11月

看板を新しく立て替え、教会建物の屋根と外壁の塗装工事を実施。教会のイメージカラーとしてエンジを使用した。十字架も新しくし、LEDの白色に夜はライトアップされるようになる。

2016年4月

33年間牧会された山守牧師が3月に退任され、母教会である宣教教会の教職者を中心とするチーム牧会が始まった。新たな牧師を迎えるまで、宣教教会の主任牧師である入月英明師が、柿生の代表責任者としても遣わされることとなった。

2018年10月

宣教教会の主任牧師・柿生キリスト教会の代表責任者として、児玉武志師が就任した。

2024年4月21日

柿生キリスト教会牧師として、國分力師が就任した。

柿生キリスト教会 信仰告白

この教会は、次の信仰基準の示す理解をもって、使徒信条を信仰告白とする。

信仰基準

1、聖書
旧新66巻よりなる聖書は、神が選ばれたそれぞれの著者によって、聖霊の完全な指導と監督のもとに記された誤りのない神の言葉である。したがって、神が救いについて、人間に啓示しようとされたすべてのことを含み、信仰と生活の唯一絶対の規範である。 

2、神
真の神は、唯一の生ける絶対者であって、父、子、聖霊の三位において、永遠より永遠まで存在される。

3、創造
神はみこころに従い、ことばをもって、すべてのものを創造された。したがって、すべての被造物は神の絶対的な主権のもとにある。
   
4、人間
人類の父祖アダムは、神のかたちにかたどって創造され、はじめは神と正しい関係にあったが、サタンの誘惑により、神のみこころにそむいて罪を犯し、死とさばきに定められた。したがって、すべての人は罪の性質をもって生まれ、その思いと、ことばと、行為において罪ある者である。

5、イエス・キリスト
主イエス・キリストは真の神であり、また罪も誤りもない真の人であられる。主は聖霊によってみごもり、おとめマリヤより生まれ、世の罪のために十字架の上で死に、3日目にからだをもってよみがえり、天に昇られた。いま主は、神の右の御座につかれ、私たちのために大祭司として執り成しておられる。

6、救い
主イエス・キリストの身代わりの死によって、主を信じる者はみな、その信仰により義と認められ、罪と咎とをゆるされ、またその支配からも解放される。人が救われる道はこれ以外にはなく、それは一方的な神の恵みである。

7、聖霊
聖霊は、人に罪を認めさせ、人を新たに生まれさせ、神の子とされる。また聖霊はキリストを信じる者の中に住み、キリスト者としての生活と奉仕とのために力を与え、贖われた者のうちにキリストのかたちを形成される。

8、教会
公同の教会は、キリストをかしらとするからだであり、生きている者と死んだ者とを含むすべての真のキリスト者により成る1つの有機体である。地上の教会は、イエス・キリストを信じて救われ、バプテスマを受けた者たちの群であって、共に神を礼拝し、主の聖餐にあずかり、また互いに信者の交わりをし、一致して福音の宣教に励むものであり、さらに再臨される主イエス・キリストを待ち望み、それにふさわしい信仰と純潔とを保持するものである。

9、再臨
主イエス・キリストは、親しく、みからだをもって、この地上に再臨される。その時すべての死んだ者もからだをもってよみがえらされ、イエス・キリストを信じている者は、義なる者として永遠の祝福へ、また信じていない者は、永遠の刑罰へと入れられる。

10、新天新地
終わりに、主はすべてのものを新たにし、御国を父なる神にわたされる。

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、3日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の命を信ず。アーメン。