※初代牧師、山守博昭師によるメッセージです。
序 : 表題はないが、それは前の32篇の最後の節とつながっているので、32篇の個人的な悔い改めから、その応答としての礼拝の民、共同体としての讃美としてつながるからで、70人訳や死海写本にはダビデの詩、また歌ということが記されている。
本論1 神への賛美
(1)私たちは神の民
32篇の最後の節(11)とを続けて読んでみよう。
32:11「正しい者たち。【主】にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。」
33:1「正しい者たち。【主】にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。」
ですから、この正しい者たちとは、神によって、そむきを赦され、罪を覆われ、咎を帳消しにされた者たちのことだ。私たちのこととして受けとめることも出来る。
エペ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──
しかし、そんな人たちが、喜んだり、踊ったり、讃美をしたり、いろいろにな楽器を使って神様を褒めたたえても褒めたたえきれないほどの賛美をするように命じられている。
33:2 立琴をもって【主】に感謝せよ。十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。
33:3 新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。
(2)神のことばと息吹
それは主のことばとわざのためだ。
33:4 まことに、【主】のことばは正しく、そのわざはことごとく真実である。
主の言葉は「正しい」「偽りがない(LB)」主が言葉を発するとそれは成るのだ。神が「光よあれ」とおっしゃると光が出来た。
33:6「【主】のことばによって、天は造られた。天の万象もすべて、御口のいぶきによって。」この「主」と「ことば」と「御口の息吹」を三位一体の神ととることも出来る。父なる神の言葉がキリストであり、御口の息吹が聖霊と受け止めることも出来る。(ルター)
「(ヨハ1:1)初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
「(ヨハ1:14)ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
まことに神の私たちに対する愛はキリストという神の言葉によってなったと言える。また、聖書では「息」という言葉は「霊」と同じ言葉が用いられる。だからキリストは父なる神のことばとして、そして、その息吹としての聖霊がことを私たちの内になしてくださる。こうして神様の私たちに対する愛の発露が、言葉としてのキリストのことばと行いであり、その愛は十字架に表わされている。大事なことは、この十字架の愛は今も私たちに注がれていることだ。
「ロマ(8:32) 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」
(3)キリストのことば
私たちの言葉は汚れている。私たちは唇の汚れた民で、唇の汚れた民の中に住んでいる。燃え盛る炭火で唇を聖めていただかなければ神の言葉を語ることが出来ない。
ダビデは「口のあやまちをしまいと心がけました。(詩17:3)」と言い、自分の命を狙うサウル王の悪口さえ言わなかったように、私たちも唇の言葉に気をつけなければならない。
サムエルの言葉を主は一つも地に落とされなかったとあり(Ⅰサム3:19)主が彼とともにおられたことが記されている。
キリストの言葉はそのまま、神の言葉として成った。ペテロはこう言っている。
Ⅰペテ2:22「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。」
そして、キリストの言葉は全てそのようになるのだ。4節にあるように、ことばの正しさとそのわざの真実は、神においてつながっている
本論2 この世界と歴史
(1)地は恵みに満ちている
33:5「主は正義と公正を愛される。地は【主】の恵みに満ちている。」
「正義」は本来は関係の概念と書かれていた。「救い」「勝利」「弁護」「義なる助け」「癒し」「報い」の意味としても表されている。「公正」は「さばきにおける決断」とも説明され、「(新共)恵みのわざと裁きを」と訳されている。16節や17節には「軍馬が頼みにならない」ことが記されているが、この世界があらゆる国々の政治や経済の動向であたかも動いているように私たちは人間の力だけを信じて世界の動向を見るが、そこにはいつも不可解があり、突然の変動や、裏切られる思いが襲うものだ。もっと現実には神の支配があること。それゆえ、私たちが正義と公義とを大胆に行うべきこと、つまり神の支配の現実にもっと目を開くべきではないだろうか。
内村のことばを紹介する。「(内村)神に恵まれたる目をもって見れば、全地はこれ正義と公平と仁慈との満ちてその行わるるところであります。我らがこの世をただ優勝劣敗の競争場裡とのみ見るは、不信のゆえにわれらの目が閉ざさるるがゆえであります。神の大なる御手が動いて、天地は依然として、その掌(たなごころ)の中にあることが、明白になる時に、我らは真の意味においての楽天家になり、万物ことごとく神の義と愛とを行うための機関たるを知るに至るのであります。信仰の言葉をもってこのことを『造化の神は摂理の神なり』といいます。天然といいて、盲目の、目的無き造化にあらず、神の善き御心をとぐるための御業であるとのことであります。」
(2)被造物の人間
33:7 主は海の水をせきのように集め、深い水を倉に収められる。
33:8 全地よ。【主】を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。
6~8節にはことばによる天地創造が思い起こされている。エベレストは8840m、マリアナ海溝は10911mで、地球の中心からは6366.4kmだそうだ。
ロマ1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
詩 19:1 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
19:2 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
19:3 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
19:4 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。
イザ45:12 このわたしが地を造り、その上に人間を創造した。わたしはわたしの手で天を引き延べ、その万象に命じた。
使17:26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
17:27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
17:28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。(あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。)
(3)歴史の中で選ばれた民
9~11節は被造世界から、神のご支配が絶え間なく続いてきた歴史に目が注がれる。
33:9 まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。
33:10 【主】は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。
33:11 【主】のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。
歴史はHistoryと記されるが、これはHIS STORYと説明される。ここでも小畑先生の言葉を紹介する。「自国の国益を追求して道理を踏みにじりつつ、醜悪に巨大化し汚名を残して崩壊していく諸帝国、おのが血を偶像化して他の血に無理を強いながら動転し滅びていく諸民族、いずれも、歴史の主を知らず、歴史の目的をわきまえない者でした。」しかし、12節には真の神を選んだ民、真の神によって選ばれた神の事が記されている。
33:12 「幸いなことよ。【主】をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。」この「ご自身のものとして」と言う言葉を「(岩波訳では)おのが嗣業として」また「(新共でも)主が嗣業として選ばれた民は」とある。「嗣業」というのは、「賜物、土地、富などの相続財産、占有物」のことだ。私たちは「私たちの相続地は天国である」と私たちの立場で考える。
申32:9「【主】の割り当て分はご自分の民であるから、ヤコブは主の相続地である。」
ヨハ15:16「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」
本論3 私たちに与えられている幸い
(1) 目を注がれる
33:13 【主】は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。
33:14 御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。
神は、私たち一人一人を天から見ておられる。そればかりでなく、私たちの心を読み取られ、見分けられる。なぜなら神が私たちの心をさえ創造されたからだ。
33:15「主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。」
ヘブル4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
4:13 造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
Ⅱ歴代16:9「【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」
ですから、私たちは神の心を心として生きるようにしたいのだ。御霊に満ちた生活。恐れずに正義と公義とを求めて、また全てのことを愛によってなす心を持ちたいのだ。
(2)国と人を守るものは何か
16~20節は戦争や飢饉や危険から守ってくださる神の現実的な裁き、御力、を表している。
33:16 王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。
33:17 軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。
33:18 見よ。【主】の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
33:19 彼らのたましいを死から救い出し、ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。
33:20 私たちのたましいは【主】を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。
人間は神の支配を信じていないので、神に頼ると言うようなことはむしろ愚かと決めつけて、軍勢、軍馬、軍備に頼らなければ自分を自国を守れないと考える。17節には「勝利の頼み」と言う言葉が出ているが、その他はみな、「王は救われない(16)」「勇者は救い出されない」とか「救いにならない」と、自衛と救いのために無力で、主こそが「救い」「助け」「盾」であると言われる。自衛のための軍備が人を守るわけではない。この真理は世界の歴史に表れている。
(3)私達の幸い
33:21 まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。
33:22 【主】よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。
「愛で包んでください(LB)」「【主】よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。(詩5:12)」
こうして生ける主ご自身に頼り信頼する者こそ幸いなのです。私達は御子の血という尊い代価を払って買い取られた者。神の嗣業の地なのです。相続地なのです。それ故、彼に信頼する者は失望する事がなく、神はご自身の栄光のためにこれを守り養い導いて下さるのです。
イザ41:8 しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ。
41:9 わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」
41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
Ⅰペテ 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしい御業を、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。
結び エペ1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように
※注 参考資料: 「詩篇講録」小畑進 いのちのことば社 「詩篇を味わう」鍋谷堯爾 いのちのことば社 「ダビデの宝庫」CHスポルジョン いのちのことば社 詩篇の霊的思想BFバックストン 関西聖書神学校出版部 聖書注解全集 第5巻 内村鑑三 教文館 「詩篇」旧約聖書講解シリーズ富井悠夫 いのちのことば社 「新聖書注解」小林和夫いのちのことば社 「実用聖書注解」富井悠夫 いのちのことば社 「旧約の霊想」WGムーアヘッド いのちのことば社 「聖書注解」キリスト者学生会 「旧約聖書の思想と概説」西満 いのちのことば社 「笹尾鉄三郎全集第2巻」福音宣教会 旧約聖書入門 三浦綾子 その他 諸訳聖書 LB(リビング・バイブル)